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サイドシルとヘッダーのついたイカツい電車が平成に入っても(しかも東武という大手で)走っていた事が奇跡のようですね。3扉化やロングシート化されることもなく老いたりとは言え特急電車の風格を最後まで保っていて良いですね。一度乗ってみたかったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。首都圏では東武、それ以外では名鉄などで、当時まだ古豪の活躍が見られたようですね。
しかも長距離優等列車で!
いやぁ東武5700系、カッコいいですねぇ。自分は関西人の近鉄オタクですが中学の修学旅行で日光に行った際、浅草駅から日光駅まで5700系のお世話になりました。幌吊りで引き締まった顔、ズラリと並んだ狭窓、しぶめのツートンカラー、転換クロス、まさに東武が生んだ名車ですね。チャンネル登録させていただきます。
ご視聴、コメントありがとうございます。5700系には、東武デラックスロマンスカーや近鉄ビスタカーなどの魅力とはまた違う、なんというか荘厳な趣がありますよね。チャンネル登録有難うございます。
東武マニアの友人に勧められ、何度も乗り撮りしました。他社のツリカケと違い、優等列車専用というところが長生きの要因ですね。引退前の快速に乗りましたが、日光で2本並びは圧巻で、高速走行が印象的でした。 たまにあった野田線での団体も思い出です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。他社では、元優等列車が客扉増・ロングシート化等の通勤車改造を受けた例が多く、早晩淘汰されてしまいましたよね。
東武沿線で育ちましたが、幼少の頃は1720系デラックスロマンスカーの印象がかなり強く、5700系は引退後に良さを知ることになりました。東武博物館で通称ネコひげ顔に復元、保存されている5700系に入ったのが初めての乗車でした。冒頭、浅草駅を出発する『赤い急行』1800系りょうもうの美しい姿が見られました。こちらは最近まで350型として残っていましたが、先頭車の保存も無く、解体されてしまったのは残念です。
ご視聴、コメントありがとうございます。私は東武は馴染みがなく、めったに乗っていませんでしたが、この撮影で訪問した際、たまたま「りょうもう」も撮影できたのはラッキーでした。
車両に風格すら感じます。古豪でしたけど、良い車両でしたね✨とても魅力を感じる車両でした✨車内もシンプルでモダン✨渋かった…。吊り掛けGood👍
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰るように、本当に風格がありました。一時代の特急車両だっただけのことはありますね。
懐かしいシーンをたくさん見れました。映像はやはり強いですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。もっと沢山撮るべきだったとの思いもありますが、何かしら映像を残せたのは良かったと思っています。
ブレーキを解除する時の音と、ブレーキ用タンクに圧縮空気を送り込む際のコンプレッサーの音が好きでした🎶
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時は吊り掛け音ほどは気に留めてなかったのですが、今聴くと無性に懐かしく感じますね。「プシュー」「コトコトコト・・」
5700系は在住していた伊勢崎線には滅多に通らず、かなりレアな存在でした。稀に通ると興奮して眺めていたのを良く覚えてます。日光方面にも何度も行きましたが、毎回6000系快速。でも一度だけ5700系にあたり大興奮した!ボックスシートより転換シートの方が乗りトク感もあったしねぇDRC、6000系、5700系のカラーリングは今の電車にない風格を感じられる。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。昭和の優等列車用車両は、仰るように、造形にしてもカラーリングにしても、今とは次元の違う「風格」があったと私も思います。今では快適で洗練された特急車両は沢山ありますが、畏敬を含む特別感に満たされた車両は二度と出現しない気がしています。贅を尽くした車両だったとしても当てはまりません。やはり時代の違いでしょう。
5700系は5310系の代替になる特急車両として登場しただけあり、客室設備や台車は当時、小田急で登場したロマンスカー1700系に近い設計で登場したものの、モーターは5310系や名鉄AL車と同じTDK-528系列で、走行音もどちらかというと名鉄3900系に近い車両でもありました。東武吊掛駆動車では同時期に登場した大出力モーター車の7800系列と同じく俊足の部類で、ドアエンジンも東武両開き車と同じ爆音で、古さの中に新しさを感じる車両でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。今回も専門的な解説を加えていただき恐縮です。小田急など他社では、特急車両だったものをロングシートや三つ扉に改造して通勤車に転用したのに対し、東武5700系が長期に亘り当初のイメージを保ったのは大したものだと思います。それだからこそ人気があるのでしょうね。
5700系古めかしい外見の車両って印象でした。今となっては貴重な映像です。貴重なものを、ありがとうございました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ホント、見るからに古めかしい車輛でしたよね。平成の世に変わるまで、よく走らせてくれていたものです。
こんな時代にデジカメやICレコーダーを持って行ってたくさん撮って録りまくりたい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。現在の機材を携えて過去に行けたならなぁ、と夢想したことは私も何度もありますよw
動態保存的存在でしたね。吊り掛けの5700系は歴史を感じさせます。by酒向正也
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
吊り掛け駆動音は魅力的ですね、
いつもご視聴、コメントありがとうございます。本当にそうですね! (実際にはあり得ないですが、)今の電車の走行時に、ダミーで吊り掛け音を流して欲しいくらいです(笑)。
阪急710系、国鉄80系を思い出しながら動画を拝見(視聴)しました👍
ご視聴、コメントありがとうございます。重厚な吊り掛け音はイイですよね。
良い列車ですねえ非冷房車の天井ってつるりとして優美ですね、初めてこの美しさに気がつきました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この車輛はいろいろと魅力的ですが、なるほど、天井の美しさもありますね!
子供の頃、大好きな車両だったけど、結局一度も乗る事もなく引退してしまいました…。東武博物館に「ネコひげ顔」に復元されて静態保存されていますね!!僕は、脳梗塞を患った関係で、あの展示ブースの階段が登れず、今現在でも、車内に入って見たことがありません…
ご視聴、コメントありがとうございます。気になっていた車両なのに乗れないまま終わってしまうことって、ありますよね。私は「猫ひげ」に復元された展示車両はまだ見たことが無いので、いずれ行きたいです。
あの『猫ひげ』は確か東武鉄道で一度も走った事が無いんだよな…( ^∀^)""なんでも東武が博物館建設する際には5700系が全車解体された後で、やむなくアルナ工機に相談して、アルナ工機が保存してた『猫ひげ』を譲ってもらったという…あれはアルナ工機が車輛製造でなんかの第一号だから保存してたヤツ。
@@用宗東田子の浦-w8p 東武5700系ネコひげタイプ車は、初期の5700系(原型)です。東武博物館リニューアルに際して、運転台のみを現地で復元したものです。貫通型は、別編成のものですが、博物館内に生首展示されています。また。「東武では、一度も走っていない…」と、ありますが、そんな事は、ありません。初期車落成後、しばらく走っていたはずです。我々が、まだ生まれる前の頃ですね!
吊り掛けの速達車って新鮮です!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。東武や名鉄では、比較的遅くまで、吊り掛けの速達車が「疾走」していたようですね。
平成時代に、都心でつりかけ音を聴けたことが信じられないです。(鶴見線大川支線のような特殊条件は除き)この時代にタイムスリップしたいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。西の名鉄と並んで、東では東武の吊り掛けが頑張ってくれていましたね。あとは、東急目蒲,池上線の3000系も、ギリ平成まで生き残ってました。
1969年まで伊勢崎線の急行はすべてこの5700系でした。日光線との格差をしみじみ味わってきました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そういうの解ります(笑)。小田急ロマンスカーでも、小田原線と江ノ島線とで「格差」がありました。
私も上り列車のだいや96号か、無料の快速かで東武動物公園で降ろされた記憶があります。同じ列車に乗っていたかもわかりませんね。確か上りの先行のスペーシアが踏切事故で大幅遅延の煽りで、私の乗っていたゴーナナが東武動物公園で打ち切りになったかと。もう30年前のことなので記憶が曖昧になっておりますが。
ご視聴、コメントありがとうございます。偶然帰りのこの列車に乗車されていてきちんと記録を取られていた方から、踏切事故の影響で大幅遅延だった旨、以前コメントをいただいております。動画内では私の誤った記憶(5700系自体の車両故障)を字幕にしてしまっており、お詫び,訂正させていただきます。それにしても、30年以上昔に体験を共有していたことが今になって判明するというのは、ちょっと感慨深いものがあります。
はるか昔に小学校の修学旅行で乗りました。古めかしかった印象しかなかったけど凄い列車だったんですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。小学校の修学旅行で乗った電車って印象に残りますよね。私の場合は朱色/黄色ツートンの国鉄155系でした。
名車
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ホント往年の名車ですね。
これ全部で12両しかなかったから、よく見る割になかなか乗車出来なくて、1回しか乗れなかった…元を取る為、モハ車の売店跡みたいなところに張り付いて結局、座っている時間より車端にいた時間のほうが長かったという
いつもご視聴、コメントありがとうございます。わかります。好きな電車に乗っているときは、いろいろ見て回りたくてゆっくり座ってなんていられませんよね。
この日、夕方の列車に乗ってましたね。手元のメモによると、栗橋付近で踏切事故と記しています。2時間程、あの小さな駅に足止めされていたと記しています。動物公園で打ち切り、そこから浅草まで10000系で帰っているようです。懐かしい思い出、ありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。まさか、同じ列車に乗り合わせていた方がこの動画を見てくださるとは! しかも30年以上前なのにメモがあるとは素晴らしいですね。たしかに2時間ほど留められてました。動画の字幕に「車両故障のアナウンスがあり‥」とか出鱈目を書いてしまいましたが、踏切事故だったのですね(笑)。途中駅で降ろされたので、勝手に車両故障だと思い込んだようです。動物公園で打ち切りになったのは翌日の運用に備えてだったのかもしれませんね。
@@昭和電車チャンネル 様早速の返信、ありがとうございます。何故か、この日だけは、しっかりメモしてありました。通常は撮影がメインなので何処と何処の間で何撮った、くらいしか記していません。ちなみにこの日は、吊掛電車が大好きな友人数人と午前中、鬼怒川温泉まで乗車し、小佐越で撮影してました。この頃は、今と違って手持ちでお手軽に、とはいかず、機材も場所を必要としていたと思います。友人は動画撮影のため、カメラを1台引退させたと言っていたような記憶があります。これからも懐かしい風景をたくさん魅せて下さい。
返信ありがとうございます。午前中に鬼怒川温泉まで乗車されたとのことですが、動画に写っている列車に乗られていたということでしょうか?
@@昭和電車チャンネル 様返信ありがとうございます。朝の5700型に鬼怒川公園まで乗っていました。同じ電車に乗っていたようです。公園から温泉駅までは、おそらくすぐの電車で戻って5700型を撮影してました。夕方まではどうしてたのでしょうか❓記憶はありませんが、下今市から打ち切りになる動画の5700型に乗りましたね。
@@昭和電車チャンネル 様暇な日曜、この投稿を機に当時のスライドを見てましたね。鬼怒川公園駅で、すこし時間があったらしく後続列車の当時、新鋭のスペーシアとの並びや編成写真を撮っています。温泉駅近くで走行を撮影、下今市ではDRCを撮影してました。まさに東武特急車両の過渡期の写真達でした。いい機会をいただき、ありがとうございます。ちなみに帰りの藤岡駅の写真を見ると駅事務所が写っていました。同じ車両の1番奥か、隣の車両の1番手前辺りに陣取っていたようです。
途中で降ろされたのは残念ですね。ファンからすれば「つりかけ音最高!もっと飛ばせ-!」ですけど、5700系としては、「ワシも歳だしのんびり走らせてくれぃ」ってとこですよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時偶然乗り合わせていた方からコメントをいただき、車両故障というのは私の誤解であったことが判明しております。従って「まだまだ元気で飛ばせるのに、踏切事故で長時間止められたわい」といったところだったようです(笑)。
@@昭和電車チャンネル なるほど!ありがとうございます!
大変懐かしい!実はこの5700系は何度か乗った事がありこの重たい吊り掛け音が味がありましたね!実は中学の時に修学旅行で団体専用列車での運用でこの5700系を約90分位乗りました。ちなみに帰りは1720系での運用でした。これが最初で最後の1720系の乗車でした。5700系は名車です。
ご視聴、コメントありがとうございます。修学旅行の列車で、行きが5700系、帰りが1720系とは!ずいぶん贅沢なご経験をされましたね(笑)。私は小学6年で日光に行きましたが、国鉄155系(赤黄塗装の修学旅行用)で出発してテンションが上がっていたところ、なぜか途中で165系に乗り換えさせられたという経験を今思い出しました。
東武動物公園の次は新大平下なんて 板倉も通過してた時代なんすね。浅草一番線に5700系入ってた時代もあったのはびっくり。6000系や6050系さえも浅草一番線に入ることなんて一度もなかったんじゃないかなぁ。350系が二番線から発車してたのは知ってるけど。
ご視聴、コメントありがとうございます。私は東武はほとんど馴染みが無いので知らなかったのですが、車両だけでなく、運用面でも当時は今とはいろいろと違っていたのですね。
通過してたというか、駅が無かったんですよね。
オッサンだから乗りました。っつーか、昭和電車さんの動画に登場する電車はあらかた乗りました。でも、私の「本業」は国鉄なんです😁
いつもご視聴、コメントありがとうございます。きっと私よりも沢山、いろいろ乗られていたのでしょうね。当時の私にとっての国鉄は、地方私鉄や路面電車に乗りに行く為の手段に過ぎず、従って映像もほどんど残せていませんが、今にして思うとちゃんと撮影しておけばよかったと強く思います。
武骨すぎるスタイルがカッコいい
いつもご視聴、コメントありがとうございます。古豪ならではのカッコ良さ、美しさですね!
@@昭和電車チャンネル タイム・マシンがあったら乗りにいきサウンド録りたい!スマホ持参しながら。
冷房はともかく扇風機も無いのが斬新
いつもご視聴、コメントありがとうございます。昔の電車では、扇風機が無かったり、あとから取り付けられたりした例がありましたね。
別の動画で扇風機があるのを見ました。この時は、夏ではなかったので、扇風機外していたのですね。そう、東武は、8000系も、非冷房時代、夏場以外は、扇風機外していました。
空調ない時代で窓開けだけで持ち堪えたよね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。空調の無い時代でしたが、真冬以外なら、外の風を受けて乗るのは気持ちよかったものです。
故障の代替え車両が気になりますね😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そういえばそうですね。換わりに何に乗って浅草に帰ったか、全く記憶にありません。ビデオ撮影していないので、当時としては珍しくない列車だったのでしょう。
夜の暖かみのある内装の色がなんともいえないです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ホントそうですね! あまり明るくないのも良いです。
この時、大手私鉄で吊り掛け駆動だったのは東武5700系や7800系を更新した5000系、名鉄(瀬戸線の6600系以外のと3300系、3400系などのAL車それに岐阜600vの770形と880形以外の車両)、近鉄(現在の養老鉄道である養老線と名古屋線の1000系でこの時は高性能化されつつあった)、京阪大津線(京津線と石山坂本線)の80形、260形、350形、南海では1521系と貴志川線の1201形でしたね。by酒向正也
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この当時でも、大手私鉄で吊り掛け車両が結構残っていたのですね。といっても以前と比べればごく一部で、関東では東武だけになっていたということですね。
北千住で時々停まってたけど、乗ってみようという発想がなかったな。勿体ないことをした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。お気持ち解ります。私もそういう経験いろいろあります。
この車を表現するなら、野武士だとか、早馬だとか。関東私鉄で一番好きな優等用車輛です。冷房がない?そんなことは、どうでもよろしい!窓を開ければよい!それが昭和の常識、乗車の醍醐味です!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰るような表現に相応しいと私も思います。名鉄などもそうですが、昭和末期まで古豪車両を活躍させてくれた東武に敬意を表したいと思います。
二度と登場しない名車(迷車)これは乗車機会がなかった
いつもご視聴、コメントありがとうございます。これぞ古豪と呼ぶに相応しい、気品のある佇まいでした。
何かこの色見たことあるぞ!床がニス塗りだったような?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この旧特急車両の車体色は、昭和らしい風格がありますね。
下今市の駅員さんでけェ! あ、そこぢゃないですね、失礼。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。やはり気付きますよね。私も動画内の字幕で言及しようかと一瞬思いましたが、やめておきました。
サイドシルとヘッダーのついたイカツい電車が平成に入っても(しかも東武という大手で)走っていた事が奇跡のようですね。3扉化やロングシート化されることもなく老いたりとは言え特急電車の風格を最後まで保っていて良いですね。
一度乗ってみたかったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
首都圏では東武、それ以外では名鉄などで、当時まだ古豪の活躍が見られたようですね。
しかも長距離優等列車で!
いやぁ東武5700系、カッコいいですねぇ。自分は関西人の近鉄オタクですが
中学の修学旅行で日光に行った際、浅草駅から日光駅まで5700系のお世話になりました。
幌吊りで引き締まった顔、ズラリと並んだ狭窓、しぶめのツートンカラー、転換クロス、
まさに東武が生んだ名車ですね。チャンネル登録させていただきます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
5700系には、東武デラックスロマンスカーや近鉄ビスタカーなどの魅力とはまた違う、なんというか荘厳な趣がありますよね。チャンネル登録有難うございます。
東武マニアの友人に勧められ、何度も乗り撮りしました。他社のツリカケと違い、優等列車専用というところが長生きの要因ですね。引退前の快速に乗りましたが、日光で2本並びは圧巻で、高速走行が印象的でした。 たまにあった野田線での団体も思い出です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
他社では、元優等列車が客扉増・ロングシート化等の通勤車改造を受けた例が多く、早晩淘汰されてしまいましたよね。
東武沿線で育ちましたが、幼少の頃は1720系デラックスロマンスカーの印象がかなり強く、5700系は引退後に良さを知ることになりました。東武博物館で通称ネコひげ顔に復元、保存されている5700系に入ったのが初めての乗車でした。
冒頭、浅草駅を出発する『赤い急行』1800系りょうもうの美しい姿が見られました。
こちらは最近まで350型として残っていましたが、先頭車の保存も無く、解体されてしまったのは残念です。
ご視聴、コメントありがとうございます。
私は東武は馴染みがなく、めったに乗っていませんでしたが、この撮影で訪問した際、たまたま「りょうもう」も撮影できたのはラッキーでした。
車両に風格すら感じます。古豪でしたけど、良い車両でしたね✨とても魅力を感じる車両でした✨車内もシンプルでモダン✨渋かった…。吊り掛けGood👍
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰るように、本当に風格がありました。一時代の特急車両だっただけのことはありますね。
懐かしいシーンをたくさん見れました。映像はやはり強いですね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
もっと沢山撮るべきだったとの思いもありますが、何かしら映像を残せたのは良かったと思っています。
ブレーキを解除する時の音と、ブレーキ用タンクに圧縮空気を送り込む際のコンプレッサーの音が好きでした🎶
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時は吊り掛け音ほどは気に留めてなかったのですが、今聴くと無性に懐かしく感じますね。「プシュー」「コトコトコト・・」
5700系は在住していた伊勢崎線には滅多に通らず、かなりレアな存在でした。稀に通ると興奮して眺めていたのを良く覚えてます。
日光方面にも何度も行きましたが、毎回6000系快速。でも一度だけ5700系にあたり大興奮した!ボックスシートより転換シートの方が乗りトク感もあったしねぇ
DRC、6000系、5700系のカラーリングは今の電車にない風格を感じられる。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
昭和の優等列車用車両は、仰るように、造形にしてもカラーリングにしても、今とは次元の違う「風格」があったと私も思います。今では快適で洗練された特急車両は沢山ありますが、畏敬を含む特別感に満たされた車両は二度と出現しない気がしています。贅を尽くした車両だったとしても当てはまりません。やはり時代の違いでしょう。
5700系は5310系の代替になる特急車両として登場しただけあり、客室設備や台車は当時、小田急で登場したロマンスカー1700系に近い設計で登場したものの、モーターは5310系や名鉄AL車と同じTDK-528系列で、走行音もどちらかというと名鉄3900系に近い車両でもありました。東武吊掛駆動車では同時期に登場した大出力モーター車の7800系列と同じく俊足の部類で、ドアエンジンも東武両開き車と同じ爆音で、古さの中に新しさを感じる車両でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
今回も専門的な解説を加えていただき恐縮です。小田急など他社では、特急車両だったものをロングシートや三つ扉に改造して通勤車に転用したのに対し、東武5700系が長期に亘り当初のイメージを保ったのは大したものだと思います。それだからこそ人気があるのでしょうね。
5700系古めかしい外見の車両って印象でした。今となっては貴重な映像です。貴重なものを、ありがとうございました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ホント、見るからに古めかしい車輛でしたよね。平成の世に変わるまで、よく走らせてくれていたものです。
こんな時代にデジカメやICレコーダーを持って行ってたくさん撮って録りまくりたい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
現在の機材を携えて過去に行けたならなぁ、と夢想したことは私も何度もありますよw
動態保存的存在でしたね。吊り掛けの5700系は歴史を感じさせます。by酒向正也
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
吊り掛け駆動音は魅力的ですね、
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本当にそうですね! (実際にはあり得ないですが、)今の電車の走行時に、ダミーで吊り掛け音を流して欲しいくらいです(笑)。
阪急710系、国鉄80系を思い出しながら動画を拝見(視聴)しました👍
ご視聴、コメントありがとうございます。
重厚な吊り掛け音はイイですよね。
良い列車ですねえ
非冷房車の天井ってつるりとして優美ですね、初めてこの美しさに気がつきました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この車輛はいろいろと魅力的ですが、なるほど、天井の美しさもありますね!
子供の頃、大好きな車両だったけど、結局一度も乗る事もなく引退してしまいました…。
東武博物館に「ネコひげ顔」に復元されて静態保存されていますね!!
僕は、脳梗塞を患った関係で、あの展示ブースの階段が登れず、今現在でも、車内に入って見たことがありません…
ご視聴、コメントありがとうございます。
気になっていた車両なのに乗れないまま終わってしまうことって、ありますよね。私は「猫ひげ」に復元された展示車両はまだ見たことが無いので、いずれ行きたいです。
あの『猫ひげ』は確か東武鉄道で一度も走った事が無いんだよな…( ^∀^)""
なんでも東武が博物館建設する際には5700系が全車解体された後で、やむなくアルナ工機に相談して、アルナ工機が保存してた『猫ひげ』を譲ってもらったという…
あれはアルナ工機が車輛製造でなんかの第一号だから保存してたヤツ。
@@用宗東田子の浦-w8p
東武5700系ネコひげタイプ車は、初期の5700系(原型)です。東武博物館リニューアルに際して、運転台のみを現地で復元したものです。貫通型は、別編成のものですが、博物館内に生首展示されています。
また。「東武では、一度も走っていない…」と、ありますが、そんな事は、ありません。初期車落成後、しばらく走っていたはずです。我々が、まだ生まれる前の頃ですね!
吊り掛けの速達車って新鮮です!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
東武や名鉄では、比較的遅くまで、吊り掛けの速達車が「疾走」していたようですね。
平成時代に、都心でつりかけ音を聴けたことが信じられないです。
(鶴見線大川支線のような特殊条件は除き)
この時代にタイムスリップしたいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
西の名鉄と並んで、東では東武の吊り掛けが頑張ってくれていましたね。あとは、東急目蒲,池上線の3000系も、ギリ平成まで生き残ってました。
1969年まで伊勢崎線の急行はすべてこの5700系でした。日光線との格差をしみじみ味わってきました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そういうの解ります(笑)。小田急ロマンスカーでも、小田原線と江ノ島線とで「格差」がありました。
私も上り列車のだいや96号か、無料の快速かで東武動物公園で降ろされた記憶があります。同じ列車に乗っていたかもわかりませんね。確か上りの先行のスペーシアが踏切事故で大幅遅延の煽りで、私の乗っていたゴーナナが東武動物公園で打ち切りになったかと。もう30年前のことなので記憶が曖昧になっておりますが。
ご視聴、コメントありがとうございます。
偶然帰りのこの列車に乗車されていてきちんと記録を取られていた方から、踏切事故の影響で大幅遅延だった旨、以前コメントをいただいております。動画内では私の誤った記憶(5700系自体の車両故障)を字幕にしてしまっており、お詫び,訂正させていただきます。それにしても、30年以上昔に体験を共有していたことが今になって判明するというのは、ちょっと感慨深いものがあります。
はるか昔に小学校の修学旅行で乗りました。古めかしかった印象しかなかったけど凄い列車だったんですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
小学校の修学旅行で乗った電車って印象に残りますよね。私の場合は朱色/黄色ツートンの国鉄155系でした。
名車
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ホント往年の名車ですね。
これ全部で12両しかなかったから、よく見る割になかなか乗車出来なくて、1回しか乗れなかった…元を取る為、モハ車の売店跡みたいなところに張り付いて結局、座っている時間より車端にいた時間のほうが長かったという
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
わかります。好きな電車に乗っているときは、いろいろ見て回りたくてゆっくり座ってなんていられませんよね。
この日、夕方の列車に乗ってましたね。手元のメモによると、栗橋付近で踏切事故と記しています。2時間程、あの小さな駅に足止めされていたと記しています。動物公園で打ち切り、そこから浅草まで10000系で帰っているようです。
懐かしい思い出、ありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
まさか、同じ列車に乗り合わせていた方がこの動画を見てくださるとは! しかも30年以上前なのにメモがあるとは素晴らしいですね。たしかに2時間ほど留められてました。動画の字幕に「車両故障のアナウンスがあり‥」とか出鱈目を書いてしまいましたが、踏切事故だったのですね(笑)。途中駅で降ろされたので、勝手に車両故障だと思い込んだようです。動物公園で打ち切りになったのは翌日の運用に備えてだったのかもしれませんね。
@@昭和電車チャンネル 様
早速の返信、ありがとうございます。
何故か、この日だけは、しっかりメモしてありました。通常は撮影がメインなので何処と何処の間で何撮った、くらいしか記していません。
ちなみにこの日は、吊掛電車が大好きな友人数人と午前中、鬼怒川温泉まで乗車し、小佐越で撮影してました。
この頃は、今と違って手持ちでお手軽に、とはいかず、機材も場所を必要としていたと思います。友人は動画撮影のため、カメラを1台引退させたと言っていたような記憶があります。
これからも懐かしい風景をたくさん魅せて下さい。
返信ありがとうございます。
午前中に鬼怒川温泉まで乗車されたとのことですが、動画に写っている列車に乗られていたということでしょうか?
@@昭和電車チャンネル 様
返信ありがとうございます。
朝の5700型に鬼怒川公園まで乗っていました。同じ電車に乗っていたようです。
公園から温泉駅までは、おそらくすぐの電車で戻って5700型を撮影してました。
夕方まではどうしてたのでしょうか❓
記憶はありませんが、下今市から打ち切りになる動画の5700型に乗りましたね。
@@昭和電車チャンネル 様
暇な日曜、この投稿を機に当時のスライドを見てましたね。
鬼怒川公園駅で、すこし時間があったらしく後続列車の当時、新鋭のスペーシアとの並びや編成写真を撮っています。
温泉駅近くで走行を撮影、下今市ではDRCを撮影してました。まさに東武特急車両の過渡期の写真達でした。いい機会をいただき、ありがとうございます。
ちなみに帰りの藤岡駅の写真を見ると駅事務所が写っていました。同じ車両の1番奥か、隣の車両の1番手前辺りに陣取っていたようです。
途中で降ろされたのは残念ですね。ファンからすれば「つりかけ音最高!もっと飛ばせ-!」ですけど、5700系としては、「ワシも歳だしのんびり走らせてくれぃ」ってとこですよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時偶然乗り合わせていた方からコメントをいただき、車両故障というのは私の誤解であったことが判明しております。従って「まだまだ元気で飛ばせるのに、踏切事故で長時間止められたわい」といったところだったようです(笑)。
@@昭和電車チャンネル なるほど!ありがとうございます!
大変懐かしい!実はこの5700系は何度か乗った事がありこの重たい吊り掛け音が味がありましたね!
実は中学の時に修学旅行で団体専用列車での運用でこの5700系を約90分位乗りました。
ちなみに帰りは1720系での運用でした。これが最初で最後の1720系の乗車でした。
5700系は名車です。
ご視聴、コメントありがとうございます。
修学旅行の列車で、行きが5700系、帰りが1720系とは!ずいぶん贅沢なご経験をされましたね(笑)。私は小学6年で日光に行きましたが、国鉄155系(赤黄塗装の修学旅行用)で出発してテンションが上がっていたところ、なぜか途中で165系に乗り換えさせられたという経験を今思い出しました。
東武動物公園の次は新大平下なんて 板倉も通過してた時代なんすね。浅草一番線に5700系入ってた時代もあったのはびっくり。6000系や6050系さえも浅草一番線に入ることなんて一度もなかったんじゃないかなぁ。350系が二番線から発車してたのは知ってるけど。
ご視聴、コメントありがとうございます。
私は東武はほとんど馴染みが無いので知らなかったのですが、車両だけでなく、運用面でも当時は今とはいろいろと違っていたのですね。
通過してたというか、駅が無かったんですよね。
オッサンだから乗りました。っつーか、昭和電車さんの動画に登場する電車はあらかた乗りました。でも、私の「本業」は国鉄なんです😁
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
きっと私よりも沢山、いろいろ乗られていたのでしょうね。当時の私にとっての国鉄は、地方私鉄や路面電車に乗りに行く為の手段に過ぎず、従って映像もほどんど残せていませんが、今にして思うとちゃんと撮影しておけばよかったと強く思います。
武骨すぎるスタイルがカッコいい
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
古豪ならではのカッコ良さ、美しさですね!
@@昭和電車チャンネル タイム・マシンがあったら乗りにいきサウンド録りたい!スマホ持参しながら。
冷房はともかく扇風機も無いのが斬新
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
昔の電車では、扇風機が無かったり、あとから取り付けられたりした例がありましたね。
別の動画で扇風機があるのを見ました。この時は、夏ではなかったので、扇風機外していたのですね。そう、東武は、8000系も、非冷房時代、夏場以外は、扇風機外していました。
空調ない時代で窓開けだけで持ち堪えたよね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
空調の無い時代でしたが、真冬以外なら、外の風を受けて乗るのは気持ちよかったものです。
故障の代替え車両が気になりますね😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そういえばそうですね。換わりに何に乗って浅草に帰ったか、全く記憶にありません。ビデオ撮影していないので、当時としては珍しくない列車だったのでしょう。
夜の暖かみのある内装の色がなんともいえないです。
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ホントそうですね! あまり明るくないのも良いです。
この時、大手私鉄で吊り掛け駆動だったのは東武5700系や7800系を更新した5000系、名鉄(瀬戸線の6600系以外のと3300系、3400系などのAL車それに岐阜600vの770形と880形以外の車両)、近鉄(現在の養老鉄道である養老線と名古屋線の1000系でこの時は高性能化されつつあった)、京阪大津線(京津線と石山坂本線)の80形、260形、350形、南海では1521系と貴志川線の1201形でしたね。by酒向正也
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この当時でも、大手私鉄で吊り掛け車両が結構残っていたのですね。といっても以前と比べればごく一部で、関東では東武だけになっていたということですね。
北千住で時々停まってたけど、乗ってみようという発想がなかったな。
勿体ないことをした。
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お気持ち解ります。私もそういう経験いろいろあります。
この車を表現するなら、野武士だとか、早馬だとか。関東私鉄で一番好きな優等用車輛です。冷房がない?そんなことは、どうでもよろしい!窓を開ければよい!それが昭和の常識、乗車の醍醐味です!
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仰るような表現に相応しいと私も思います。名鉄などもそうですが、昭和末期まで古豪車両を活躍させてくれた東武に敬意を表したいと思います。
二度と登場しない名車(迷車)
これは乗車機会がなかった
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これぞ古豪と呼ぶに相応しい、気品のある佇まいでした。
何かこの色見たことあるぞ!
床がニス塗りだったような?
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この旧特急車両の車体色は、昭和らしい風格がありますね。
下今市の駅員さんでけェ! あ、そこぢゃないですね、失礼。
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やはり気付きますよね。私も動画内の字幕で言及しようかと一瞬思いましたが、やめておきました。